近鉄八木駅から東へ向かうと、すぐに低い山が窓の左右から目に飛び込んでくる。やがて線路は谷間に入り、窓は初夏の緑のトンネルに包まれる。時々、視界が開けるときには、眼下の谷間に家並みがあり、電車が山腹にそって走っているのがわかる。
山間をぬうようにゆっくり走る各駅停車の電車にゆられているうちに、室生口大野の小さな駅にたどりつくのだ。そこにはすでにバスがいて、ほとんど待たずに室生寺まで運んでくれる。奈良市内から一時間半もあれば、着く。便利だ。しかし、室生という言葉には、どこかしら果てしなく遠い場所という響きがあるような気がする。まして、交通手段のなかった時代に、ここまで訪れる人にとって、この寺に参るには、どんなにか遠く、険しい旅を強いられたことだろう。女人高野、室生寺。女たちは、つらい旅をのりこえてまで、なぜこの寺を目指したのだろうか。身近な人にたずねてみた。
「そりゃあ、遠くてしんどいほど、ありがたいということじゃないかい」
なるほど、「こんなにつらい思いをしてまでお参りするのですから、どうか私の願いを受け入れてください」という気持ちだったのだろうか。とすれば、この遠い聖地を目指さずにはいられない、悩みを抱えた人たちを迎え入れてきた寺だから、今も訪れる人に癒しのようなものを感じさせるのかもしれない。
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一昨年の秋、台風七号によってくずれた国宝、室生寺五重塔の無惨な姿の写真が、今も寺内に掲示されている。解体と調査に始まる災害復旧工事のようすを追ってみようと、昨年の秋号から連載を始め、季節が変わるごとに訪れてきた。その工事が完成に近づくにつれ、取材も終わりを迎えようとしている。やはり、感じるものがあり、快晴の日ざしに輝く森を見ても、いつもより澄んでいる川を見ても、いっそう美しく感じられた。シャクナゲは今まさに満開だった。
観光シーズンを迎え、修学旅行生たちや、うきうきしたご婦人がたのグループなどで、寺の周辺がざわめく中、自分がやや浮いているように思った。
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観光客をがっかりさせてきた塔を覆う素屋根は、六月の修理現場見学会が終わると、取りはずされることになっている。残るは付帯工事ということになる。見学会は、希望者を募って行われるもので、素屋根にのぼり、手の届く位置から塔を見学できる貴重な機会とあって、全国から応募があるそうだ。
木工事を終えた白木の、潔い色彩がまだまぶたに残っていたのだが、今回はすっかり印象が変わっている。昨年末から、五月にかけて、塗りがほどこされてきたからだ。
奈良県文化財保存事務所、室生寺出張所で、工事の指揮をとる松田敏行氏によれば、復旧前までの塗りは、明治のものだという。大正や昭和でも、修理は行われてきたが、塗りは明治のころのままだった。それが今回、全面的に新しく塗り直されたのだ。
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文化財が修復されたり、復元されてみると、その鮮やかな朱色にとまどうことがある。私たちは知らず知らずのうちに、古色蒼然とした姿をこそ、歴史を感じさせるものと考えているのかもしれない。しかし、創建当時を想像させてくれる色彩にふれて、古の人たちが塔に感じたものをなぞってみる機会があってもいい。五重塔の朱はどのように仕上がっているのか。興味を抱きながら、素屋根の中に、一歩踏み込む。
そこには、意外な色があった。しっくい塗りを残すのみとなった壁を背景に、白木の肌を見せていた肘木や垂木は、想像していたのよりも、はるかにシックなあかい色に変わっていた。朱塗りといえば、薬師寺や朱雀門の華やかなオレンジがかった色になじんでいるためか、「こんな朱もあったのだ」と思う。業者から提示された八種類のサンプルのうち、選ばれた五重塔のあか。素屋根がはずれてみなければ、確かにはわからないが、かすかに青みを含む、グレイッシュな落ち着きのある色だ。日本一可憐で、小柄な塔に、なんともふさわしく思われた。葺き終わった檜皮の平葺きの屋根が、幾何学的に美しい。その屋根にのっかり、木口に刷毛で黄色い色を塗りつけている若者に会った。
彼が塗っているのは「黄土」という色。「丹色」とも「朱色」とも呼ばれている肘木や垂木、柱などのあかい色は、ここでは、「朱土」と「弁柄」という色材が使われている。朱土は高価で、すべて朱土を用いるのは、春日大社本殿など、ごく限られたところだという。多くは、弁柄や丹土で、土を焼成し、酸化させることによってあかい色を出したものだ。また、白い部分は胡粉といい、貝殻を砕いてできた色材だ。色材は粉状のもので、これを柿渋や膠と混ぜて使う。今回は膠が使われている。いわゆるペンキと違うのは、古くなっても、色あせても、趣きに変わっていくところ。ぼろりと欠片がむけ落ちたりはしない。それが伝統的な色材のすばらしさだ。
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