あかい奈良
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  再録「室生寺」

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第1章 解体と調査

蛇行する室生川の流れに沿って続く道を、水の神がすむという室生の聖地へと上っていく。
やがて谷あいに門前町が現れ、深い森に抱かれるように室生寺がある。山門をぬけ、伽藍や本堂をすぎた山ふところに、土門拳の写真で有名なシャクナゲの石段。
その上には、あっけないほどに小さな五重の塔が素屋根に覆われて建っていた。

 室生寺の中でも最古の建造物であり、日本で一番小さく、「可憐」と形容されるその塔が、痛々しいほどの姿で全国に報道されたのは去年(平成十年)の九月。奈良を直撃した台風七号が、この塔の五重から初重にかけて、無惨な爪跡を残して大木をなぎ倒したのだった。
  しばらく、呆然としたまま時が流れたようにみえた。そして今年(平成十一年)二月、総費用の一億五千万円を国が八〇%、奈良県が五%、室生村が三%、そして寺が一二%という割合で受け持つという方針が決まり、ようやく復旧工事が始まった。

 そっと塔に近づく。
  「カーン、カーン、カーン」という槌の音が、鳥の声のように木立に響いている。シートをたくし上げた入り口は、関係者以外立ち入り禁止、奈良県文化財保存事務所・室生寺出張所だ。そこで松田敏之氏にお会いした。

 松田氏は長年、奈良県職員として文化財の保存や修復に携わってきたベテランで、すでに現役を退いておられるが、このたびの災害復旧にあたり、再び現場で指揮をとることになった。

 「長年この仕事に携わっていても、なかなか塔にあたるものじゃありません。普通一回あるかないか。私も現役のころ一度だけでした。今回で二度めになり、五重の塔には気の毒ですが、私の仕事の上では幸運なことです」と語る。

 松田氏に案内されて、素屋根の中に入っていく。この中で一体何が行われているのか、そもそも文化財の修復というのは実際のところ、どういうものなのか。

  石段の中ほどからも垣間見えていた初重を支える柱や壁が、建立当初の面影を残している。その脇を、板のスロープが上へ上へと続いている。周りに森が迫るこの塔の場合、工事の足場となる素屋根を、クレーン車で組むことはできない。昔ながらの、人の手による丸太を組んだ素屋根だ。

 大人が両手のひらでつつめるほどの太さの丸太を、針金で縦横に組み、塔を囲んである。そこにシートがかけられている外観は、災害前の塔の姿を思えば、あまりにも哀れで、味けない。しかし、まるで衣装替えをしてもらっている少女が、お行儀よく身を任せるかのように、室生寺五重塔は、復旧工事を受け入れているように見えた。

 初重では薄暗かった素屋根の中は、上に上がるほど光が入り、最上の五重の位置では、サンルームのような明るさだった。

 九輪が頭上に見えている。五重の屋根は、檜皮葺きがはずされ、木組みが現れた状態だ。その周囲に巡らされている足場は、歩くたびにやわやわとたわむ。思わず、丸太を締めている針金に視線がいく。これだけの支えで素屋根が建っているわけだ。思っているよりずっと、頼もしい造りなのかもしれない。
「今は五重の解体をやっているところなんですよ」。
塔の下から聞こえた「カーン、カーン」という音の源がわかった。

 現場の若い作業員の手によって、屋根の垂木の一本一本に、小さな札が打ち付けられている。垂木だけではない。すべての、どんなに小さな部材にも、ことごとくその場所と位置を示す札が丁寧に打ち付けられる(番付)。まずこれが解体に不可欠な準備作業なのだ。

 災害にあった文化財を、どのような手順で、どこを残し、どこを直し、復旧していくかを決定するのは松田氏ら文化財保存課員の重要な仕事になる。

 「五重と四重が一番ひどくやられています。ここは解体して直します。一番最近のものでは明治の番付が残っていますね。日本で文化財保護法ができたのが明治三十年。初めて、法律が文化財を保護することになりました。その四年後に、ここの修理が行われています。中世に修復された個所も、当初のものが残っている個所もあります。修理はそれがよくわかるいい機会ですから」と、松田氏はそれらを丹念に調べ、報告書にまとめているところだ。

 明治の修復で、傷んだ部材を新しいものに取り替えた部分は、百年もたっているとは思えないほど、まだ新しい木肌を見せていた。中世、建立当初と、それぞれの木肌に風合いがある。文化財の世界では百年という単位は、ほんの短い時間なのだとあらためて思う。

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  1. 解体と調査  
  2. 檜皮葺きの屋根  
  3. 組み立て  
  4. 古のあかい色  
  5. よみがえった室生寺五重塔

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 「感心するのはね、これだけの被害にあっても、塔の芯はゆがんでいないということですよ。トランシットで上から見たらまっすぐなんです」。

 促されて、足場にしゃがみこみ、いまやすぐ手元にある屋根の端を自分の手で押してみた。なんと、揺れるではないか。わずかだが、たしかに、塔全体が揺れた。しかし、心柱は動かない。当初の心柱と、それぞれの屋根とは少し隙間がある。つまり、塔の屋根は心柱に直接ふれてはいないのだ。塔に衝撃が加わっても、この隙間がそれを吸収する。地面から十数メートルの位置にある足場の上で、五重の屋根をさわって揺らしている自分がいた。こういう経験は、この先二度とないだろう。

 「降りてみますか」
五重、四重に比べると、被害の少なかった三重と二重、初重について、松田氏は、「解体の必要はないと判断し、もちあげて、修理しようと思っています」と言う。もちあげて、と言われてもにわかには解せない。もちあげるとはどういうことなのだろう。ここではクレーン車は使えないのだ。

 まず、四重までが解体されると、三重が露出する。三重の屋根はこれで修復できる。その下の二重は、三重を持ち上げておいて修理するわけだが、その方法を理解するには、塔の各階がセパレートする構造になっていることを認識しなければならなかった。屋根を支える柱と柱の間に塔を貫通する長さの二本の木材を通す。その下には、こんどは九十度横から木材を通し、四本の木材を固定する。簡単に言ってしまえば、三重部分を井の字に串刺しにして、その井の字の下にジャッキをかませるというのだ。「三重の重さにジャッキが耐えるのですか」と驚くと、ジャッキの高さは、足場に置かれる別の木材で支えられるという。こんどは「床がぬけませんか」と、素朴な質問をする。「その期間は足場の下に補強の丸太を立てるんですよ」と松田氏はほほえみながら教えて下さった。こうして、二重の修理が行われ、次は二重をもちげて初重の修理が行われる。

 降りていくほどに、屋根が少しずつサイズが大きくなっていることがわかる。五重に上ったとき、あまりにも小さく感じたのも、そのためだったのだ。
  事務所に戻ると、松田氏は、作成途中の報告資料を見せて下さった。初重から五重までの図面があり、屋根の部材の一本一本が創建当初、中世、明治と色分けしてあった。解体しながら、実測し、どの時代のものか、当初と今とは変わっているのかどうかなどの調査がなされている。大変に根気のいる作業だ。

 「室生寺は災害復旧が目的で、通常の修復とは少し意味あいが違いますから、本当はここまでしなくてもいいのですけれど・。明治の図面が残っていませんのでね」
どこかの時代で、だれかがやっておかねばならない仕事だという松田さんの思いが伝わってくる。

 国宝や重要文化財の宝庫である奈良県では、県が直接建造物の修理にあたっている(同じようなシステムを持つのは京都と滋賀だけである)。そこでは、単に公的な職務をこえて、悠久の時代の中に自分の仕事を位置づけ、黙々と働いている人たちがいる。素屋根の中、あるいは観光客の知らないところで。
「塗装も新しくしようと思っています。古いものそのままのほうが良かったという意見も、出てくるかもしれませんが、いい機会だと思いますので。この寺が創建された平安時代には、みんな鮮やかな建物だったわけですから、当時の姿がよみがえることでしょう」

 解体と調査が続くなか、この九月からは屋根に使われる檜皮を採る段階にはいるという。十月には、解体が終わる。十二月からは檜皮葺きが始まり、年明けには組み立てが完了する予定だ。付帯工事が終了するのは、来年のいまごろになるはずである。

お色なおしをすませ、可憐な塔が、再び私たちの目の前によみがえる。

その一年を追っていきたい。

第2章に続く