記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 8/20

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大宇陀エリア6徳源寺奈良宇陀・菟田野辰砂ゆかりの地を行く!大宇陀?菟田野ルート100m葛の館菟田野エリア31100m光明寺?至大宇陀大宇陀公園松山西口関門516610宇太水分神社文松源院松源院民芸館7天益寺阿紀神社8万葉....

大宇陀エリア6徳源寺奈良宇陀・菟田野辰砂ゆかりの地を行く!大宇陀?菟田野ルート100m葛の館菟田野エリア31100m光明寺?至大宇陀大宇陀公園松山西口関門516610宇太水分神社文松源院松源院民芸館7天益寺阿紀神社8万葉公園166寄り道コース大宇陀温泉あきののゆへ宇陀市中央公民館阿騎野・人麻呂公園文文大願寺宇陀川万法寺黒川本家3道の駅宇陀路大宇陀応神天皇に捧げた舞いがくず今も伝わる、国栖の里記紀によると、井光からさらに進んだイワレヒコは、また、尻尾のある人に出会った。この人は大きな岩を押し分けて出てきた。「お前はだれか?」と尋ねると「私はいわおしわけのこ国神で、名は石押分之子と申します」と答えた。これが吉野の国栖の先祖とされる。東吉野村南国栖の大蔵神社には、石押分之命が祀られており、神社の下方に、神武天皇を迎えた時の岩穴とする巨岩がある。一説には、銅鉱山の横坑とする説もある。応神天皇が吉野に行幸されたときに舞ったのが最初とされる国栖奏は、今も国栖の里人に伝授されている。壬申の乱の時には、大海人皇子(のちの天武天皇)を匿い、またともに戦った。大海人皇子を迎えた所は、現在「天皇さん」とよばれ、浄見原神社が所在する。国栖奏は、毎年ここで舞われる。START194大宇陀歴史文化館薬の館拾生長隆寺森野旧薬園2バス10へ浄見原神社の本殿135STARTGOAL文「大宇陀」バス停1道の駅「宇陀路大宇陀」徒歩5分おすすめ田中日新堂のらくがん「宇陀五香」2森野旧薬園■江戸幕府の援助を得て開いた薬草園徒歩1分3吉野葛本舗黒川本家■古代より、宇陀で育った葛を主とする植物は、薬草として珍重徒歩5分おすすめ徒歩15分徒歩15分おすすめ徒歩25分徒歩10分松月堂の和菓子「きみごろも」4大宇陀歴史文化館薬の館5松山西口関門6徳源寺7天益寺8阿紀神社■松山城の城下町遺構金華堂の「黒門もなか」森野吉野葛本舗・葛の館の葛製品■織田氏4代の菩提所。石工丹波左吉作の布袋像がある■ここの桜は樹齢350年といわれる■境内にある能舞台では、6月中旬に「あきの蛍能」が開催される寄り道コース徒歩15分徒歩20分大宇陀温泉あきののゆ℡0745-83-4126徒歩15分9「大宇陀」バス停バス10分10「古市場水分神社前」バス停徒歩2分11宇太水分神社■水のまもり神で、鎌倉時代建造の社殿は国宝徒歩2分12「古市場水分神社前」バス停バス20分近鉄「榛原」駅地蔵ケ辻バスGOALへ39取材・文/嶋岡尚子撮影・編集/沢井啓祐取材協力/菅谷文則(橿原考古学研究所所長)辰巳和弘(古代学研究者)辻内大祐(国栖奏保存会)加藤敬介(井光地区長老)上野純一(菟田野地区元水銀鉱山長老)以上敬称略参考文献/『他界へ翔る船』(辰巳和弘新泉社2011)『古代の朱』(松田壽男ちくま学芸文庫2005)『丹生の研究』(松田壽男早稲田大学出版部1970)『国栖奏』(国栖奏保存会2004)