記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 5/20

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宇陀にはエウカシ、オトウカシ市菟うウ田たカ野のシ宇う兄賀か弟志しのに本あ拠た地るはと、さ今れのる宇。陀あることがわかる。宇陀では辰砂砂し(ゃ硫化水銀)を含む土のことで語る。丹」という言い方から、これが....

宇陀にはエウカシ、オトウカシ市菟うウ田たカ野のシ宇う兄賀か弟志しのに本あ拠た地るはと、さ今れのる宇。陀あることがわかる。宇陀では辰砂砂し(ゃ硫化水銀)を含む土のことで語る。丹」という言い方から、これが辰しん攻防の物語を、記紀は次のようにここを宇陀の血原という。れていたのだろう。「真赤土のさ地元勢力ウカシ兄弟とくり広げるころ、大量の血が流れた。よって宇陀の赤い土がそれなりに周知さ遠征途中で、イワレヒコが宇う陀だのられて圧死。その死体を斬ったとせばいいだろうか。万葉の時代に、大和に入り橿原に即位する。そのは、自らが仕掛けた罠に追い詰めを気にする女心を歌ったものと解わり、熊野から八や咫た烏がらすに導かれて軍勢に攻め立てられたエウカシこれうわさするでしょう?と世間敗。そこで和泉灘から紀州沖をま告する。その結果、イワレヒコのついたら、人々が私のことをあれとしたが、地元勢力の反撃で失の謀略を知って、イワレヒコに密和の宇陀の赤土の色が(着物に)経由で生駒を越えて大和に入ろうしかける。弟のオトウカシは、兄そこもか人の我を言なさむ」。大ミコト)は、日向の国を出て浪速大殿をつくるが、中に釣り天井を和の宇陀の真ま赤は土にのさ丹につかばる神武(カムヤマトイワレヒコノ服従を装い、イワレヒコを迎える万葉集にこんな歌がある。「大記紀によると、初代天皇とされかめる。兄のエウカシはうわべは二人に恭順の意があるかどうか確レヒコは、八咫烏を使いに出して血原の伝説の兄弟が勢力を保っていた。イワ産宇地陀だはっ赤たい土のぐって考えてみたい。和朝廷の権力の象徴である古墳内部に残る大量の水銀朱をめ経て、大和を平定した。宇陀に残る血ち原はらの伝説と水銀鉱山、大古事記・日本書紀(記紀)によると、神武天皇は熊野から宇う陀だを神武東征物語と宇陀と水銀2自然水銀(参考資料/Sonoma Co., California, U.S.A.)菟田野で採掘された辰砂の鉱石赤く見えるのは、母岩に毛細血管のように硫化水銀が入っているため。水銀は比重が大きく、同じような大きさの他の石よりも重い。水にぬれると赤さが増し、まれに自然水銀が汗のように噴出していることもある写真提供/菅谷文則氏36