記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 20/20

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35どもらが主体となって藁でつくられた蛇を担ぎまわって、絵馬を奉納したりする。例えば、橿原の地黄町では、「スミツケ祭り」という子どもたちに墨汁を塗りたくる行事が有名だが、これは古くはノガミさん、ノグッツ....

35どもらが主体となって藁でつくられた蛇を担ぎまわって、絵馬を奉納したりする。例えば、橿原の地黄町では、「スミツケ祭り」という子どもたちに墨汁を塗りたくる行事が有名だが、これは古くはノガミさん、ノグッツァンと呼ばれた行事の一部だ。墨で真っ黒になった子どもたちは、墨付けの翌日の未明、蛇綱を担いで野神さんに絵馬を奉納する。奉納した後は、「ノガミさん送ったから、ジイジもバアバも早よ起きよ」と言いながら帰ってくる。「野神さんによそに移ってもらったから、早く農作業をしよう」という意味らしい。その背景には、「土地を支配する神に対する強い恐れの気持ちがあるのではないか」と県立民俗博物館の鹿谷勲氏は言う。「かつて野神は、未開拓の野を支配する神だった。新田開発するときには、勝手に鍬を入れたりするとその土地の神さんにたたられる。まずは、野の神さんを丁重に祀らないと…という意識があったのではないか」というのだ。「野神」という神名の文献上の初見は、文禄・慶長の頃というから、今から約四百年くらい前だ。しかし、ご神体である蛇そのものへの信仰は古代までさかのぼることができる。蛇信仰の連綿と続く古層があって、それが中世や江戸時代の新田開発のときに、野神さんとしてリニューアルされてきたと考えることも可能だ。さすらいの農耕神弥生時代の昔からほんの一五〇年ほど前までは、稲作を中心とした農耕は、日本社会の基盤だった。が、今は農地も減り、大和の国中でさえ、米づくりをしたことがない、土に触ったことがない人々が増えてきた。農耕儀礼の行事も、都市化や宅地化の進行、ご多分にもれずの少子高齢化の波により、その成立がむつかしくなってきている。地黄町のスミツケ祭りも、子どもの数が減ったことが主因で、昨年は実施できなかったと聞く。明治以降の工業化、第二次世界大戦後の高度経済成長、そして情報化の時代へと、この間に、私たちは、帰り道もわからなくなるほど、遠くへ来てしまった。神さまの祀り方も忘れてしまった。迷子になったときは、古典を。『古事記』成立後一三〇〇年の今年、近い将来のルネッサンスを予感しつつ、私たちの来し方行く末に思いを馳せたい。そして、古の人々の祈りを今に再現し、伝えようとする試みに共振したい。取材・文/嶋岡尚子編集・撮影/沢井啓祐取材協力/鹿谷勲(奈良県立民俗博物館学芸課長)塩谷陸男(大和神社宮司)東川優子(葛木御歳神社宮司)以上敬称略御所市蛇穴にある野口神社の汁かけ祭撮影井上博道