記紀の迷い道1-5

記紀の迷い道1-5 page 17/20

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32農耕の神さま日本の稲作起源に関する神話のひとつに、殺された女神の身体から作物が生じる話が『古事記』にある。高天原を追い出された須佐之男命(スサノオノミコト)が、出雲に行く途中、大宜津比売神(オオゲツ....

32農耕の神さま日本の稲作起源に関する神話のひとつに、殺された女神の身体から作物が生じる話が『古事記』にある。高天原を追い出された須佐之男命(スサノオノミコト)が、出雲に行く途中、大宜津比売神(オオゲツヒメノカミ)に食べ物を乞うた。ヒメは、鼻や口、尻から食べ物を出したので、スサノオはこれを汚いと思い、ヒメを殺してしまった。すると、ヒメの死体の頭から蚕、両目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生えてきた。五穀をもたらした女神、オオゲツヒメは、伊耶那岐命(イザナギノミコト)、伊耶那美命(イザナミノミコト)の御子である。この女神が羽山戸神(ハヤマトノカミ)との間に生んだ八柱は、田植えをする神、灌漑の神、夏の太陽の神などいずれも農業神だ。若い稲の神であるワカトシノカミ(若年神)もそのなかの一柱だ。神々の系譜によると、ワカトシノカミは、稲の守護神であるオオトシノカミ(大年神:スサノオの息子)の孫にあたる。さらにオオトシノカミの息子であるミトシノ今から約二千数百年前、水田稲作という最先端の技術を携えた人々が日本にわたってきた。以来、稲作文化は日本人の生活に深く根をはり、価値観の中核に腰をすえた。「記紀の迷い道」最終回は、『古事記』における農耕神の扱いとその後の行方をさぐる。かつて水穂の国だった日本の農耕の神さまは、今どこに?5葛木御歳神社の祈年祭のあとに行われる湯立て神事。煮立った湯が冷気に触れて、一瞬にして真白な湯気となる。撮影永田明